とちぎ教科書裁判通信

大田原市の扶桑社版歴史・公民教科書採択取り消し裁判の私的記録集

2017-06

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教科書裁判通信2号より転載ーー付記、「教育基本法改正」は「お笑い・ペテン」である。

付記、「教育基本法改正」は「お笑い・ペテン」である。

本日(2006年12月16日朝刊)の朝日新聞をみると、大田原市の小沼教育長さんや千保市長さんの、扶桑社版教科書採択は「教育基本法改正」を先取りしていた旨の発言がありますが、これに対して徹底した批判を加えておきたいと思います。

                                           
そもそも、教育基本法改正なるものが「ペテン・お笑い・茶番」なのである。すなわち、改正前も改正後も教育基本法は、「憲法の精神にのっとり」とある。であるならば、憲法の文言と矛盾するものがあってはならない。また、教育基本法を本格的に「改正」したいのであれば、「憲法改正」をしてから「教育基本法」を改正しないと論理的におかしいことになる。

このことを、「公」の意味から考えてみよう。
改正法でもでてくる「公の精神」ということを考えることは、確かに問題はない。だが、「公」とは何だろう。まさか、扶桑社版公民のように「公=国家」ではないだろう。公とは、「公論」のことであり、みんなで、公のことを議論することだ。だから、公の中身は議論してみないと分からないのだ。そして、公論の結果は、憲法に書かれるものとなる。だから、現段階では、憲法の「基本的人権の尊重」が公となり、個人の尊厳・人権を尊重・擁護する国家のありかたが「公」ということになる(本当は、現行憲法では、基本的人権と象徴天皇制などの間に矛盾がみられるから公が混乱しているのだが、そのことは、今日は問わない)。(この部分については、『みんなのための教育改革』関曠野著・太郎次郎社から学んだ)
再度、定義しよう、現段階での公とは、個人の尊厳・人権を徹底して擁護することを指す。ちなみに、世界人権宣言 第29条にはこうある。「1、すべての者は、その人格の自由かつ完全な発展がその中にあってのみ可能である社会に対して義務を負う」とある。このことを、今回の「教育基本法改正」にあてはめてみれば、個人の尊厳・人権を擁護し尊重してくれるような「国家」なら「愛しても」いいかなーーということになる。しかし、現代の日本が、そして、教育基本法改正後の日本が、そうなっているだろうか?

また、「愛国心」や「伝統と文化」の尊重などの「教育の目的」を「法律」に書くことは意味がない。教育活動とは、子ども・教師・親などの「個別の人間関係」のなかでおこなわれるものであり、そのなかで、自ずと教育目標が決められてくる。(ちょっと考えれば分かるが、「伝統」ってなんだろう?何が伝統なのか?そういうことの議論もされていないではないか)そして、教育をささえる基準は「憲法」にあるのであり、それ以上でもそれ以下でもない。したがって、本来なら、教育基本法などという中途半端な法律はなくして、憲法のなかに「教育条項」が書かれていくことが重要なのだ。(このあたりについては、『変えよう!日本の学校システムーー教育に競争はいらない』古山明男著・平凡社を参照)
また、時代塾改憲フォーラム http://jidaijuku.s23.xrea.com/yobikake.htmlも参照)

以上、「茶番」の中身をメモ書き風にまとめた。
結論: 「教育基本法改正」がペテンなのだから、それを「先取り」していた「扶桑社版教科書採択」は「ペテンの先取り」だったといえる。

参考文献
『みんなのための教育改革ーー教育基本法からの出発』関曠野著・太郎次郎社
『親と教師が少し楽になる本ーー教育依存症を超える』佐々木賢著・北斗出版
『変えよう!日本の学校システムーー教育に競争はいらない』古山明男著・平凡社
『オランダの教育ーー多様性が一人ひとりの子供を育てる』リヒテルズ直子著・平凡社
『パンケーキの国でーー子どもたちと見たデンマーク』伊藤美好著・平凡社
以上。
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とちぎ教科書裁判通信3号より転載 『裁判が日本を変える!』書評

民主制再構築・再定義のための「主権実現方法としての裁判」
/『裁判が日本を変える!』生田暉雄著(日本評論社)を読んで

とちぎ教科書裁判原告  白崎一裕

生田さんのこの著書は、今後、市民のための政治活動の良きマニュアルとなるだろう。
その方法を具体的に述べているのが、「第六章 主権実現方法としての裁判」 という文章だ。実は、この内容は本の出版以前に、3月の宇都宮大学で開催された「とちぎ教科書裁判講演会」においても生田さんから直接お話ししていただいている。なので、拙文の内容は、そのときの講演会のご報告も兼ねている。

 日本の戦後民主主義の歴史を振り返るとき、60年安保闘争や68~9年の大学闘争など一時的な政治運動の国民的盛り上がりがあっても、それは日本の民主制の根本的な変革にはなりえなかった。その証拠に、60年安保の後の「高度経済成長」は、日本人に「ショーバイ」と「シセイカツ」を目的として遮二無二つきすすむ経済動物の進化を促し、高度成長の陰で進行していた様々な負の側面を根本的に解決することなく、おおよそ80年代後半の「バブル崩壊」まで、その基本的流れは変化してこなかったといえるだろう。そして、それは、国民の「生活保守主義」と「政治的無関心」を常態化させることとなったのだ。

ただ、その「政治的無関心」に関しては根拠がある。それは「政治に参加している・政治に関わって何かが変わる」という実感をもてないということだ。おそらく、このことは、若い世代には顕著なことではないだろうか。生田さんは、これを「為政者のマインドコントロールに引っかかっている」と表現している。この本では、主権の実現方法について ①選挙権の行使による間接民主制 ② 選挙権を行使して選んだ国会議員が、憲法・法律の規定を裏切った場合に裁判で牽制・監視・コントロールすることによる主権の回復、その他裁判による主権の実現 ③ ビラ・デモ・座り込み・文書・インターネット等による直接民主制的権利の行使 をあげている。ところが、マインドコントロールによって、①の選挙権の行使のみに民主制における主権実現の方法を限らせ、②の裁判は「紛争解決の手段」として矮小化させ、③の直接民主制は、思想表現の自由の問題に限定させて、法の領域にまで達しないものとなっていると分析している。

まさに同感だ。まず、選挙だが、現在の大衆民主主義は、多数決と党派の動員および芸能人的人気投票に堕しており、このことが、政治に対する無関心と政治参加の無力感を増大させていっているといってよいだろう。そもそも、ルソーが指摘するように「多数決」は、時間がない場合の次善の方法に過ぎず、本来の民主制からいえば議論は時間をかけておこなわれるべきであり、それこそが民主制の本来の姿なのだ。そして、司法は、その議論の際の「正義」の基準となるものである。多数決が横暴を振るえば、少数者の人権は踏みにじられてしまう。しかし、その「司法」が欺瞞に満ちた制度だとしたらどうだろうか。正当な社会の秩序が危うくなるのではないか?そういう問題提起を生田さんはしているのだ。その証拠に裁判官の「ヒラメ化」をあげている。ヒラメ裁判官は、良心にでも法の支配にでもなく、上級審の裁判官や他の裁判官の顔色を伺い、その組織内での出世にのみ拘束される存在である。まずは、このヒラメ達にゆさぶりをかけ、司法を本来の意味での「正義」を追及する場として改革しなければならない。

そのための、生きた処方箋が、「主権実現方法としての裁判」ということになるだろう。まず、ヒラメゆさぶり方法として、「四点セット」があり、そこでは、●忌避、●地裁所長・高裁長官の監督責任追及、●弾劾裁判所への裁判官の弾劾の申立、●裁判官に対する国家賠償の請求、をかかげている。いま、「とちぎ教科書裁判」では、このうちの「忌避」と「弾劾裁判」を実行ないし準備中だが、この四点セットは、これから裁判をやろうという人たちにとっては、とても有効な手段だと思う。

それから、もうひとつ。生田さんのご指摘で重要なのは、裁判の「勝ち負け」ということだ。この種の裁判に反対する論拠としてよくあげられるのは、「負けると、その悪しき判例が残り、将来に悪影響をおよぼす」ということがある。私も、本人訴訟で裁判をしようと決意したときに、そのようなご意見を多く頂戴した。しかし、生田さんは「敗訴」とは、裁判をした結果、有効なことができなかったことをいい、判決そのものとは区別すべきだーーと言う。また、日本の司法は、判例法主義ではないので、判例は関係ないーーとも述べている。私は「とちぎ教科書裁判」は、いわゆる「抵抗裁判」だと思っている。生田さんの言われるように、裁判をすることによって行政から何を引き出してくるか?ということが重要だ。それも、具体的な法的手段を通じて行政側と緊張関係を保ちながら、自分達の存在をアピールするというスタンスである。このことは、裁判の勝ち負けを超えているのだ。
 
さて、この生田さんの本には、もう二つの柱があって、ひとつは、現在の裁判員制度導入への批判と警察の捜査および刑事裁判のありかたに関しての批判である。今回は、この二つの柱についての詳細なご紹介は割愛させていただくが、これらの内容に関しても「主権実現方法としての裁判」と同様、法を市民の手にということと、徹底した人権擁護ということが貫かれている実践的提案に満ちている。

ただ、次のことは指摘しておきたい。この警察捜査と刑事裁判の官僚独占と不透明感が実は、法の世界の要である裁判から一般市民を遠ざけてきた要因なのだ。
その証拠に、子どものうちから、「悪いことをすると警察の人につかまりますよ!」と大人たちに脅されてきていることを思い出して欲しい。つまり、法の世界というと、悪いことをしたら罰せられるというイメージであって、その具体的なものが警察や役所となってきていたのだ(このような「法」の説明をしているのが、実は、扶桑社版『新しい公民教科書』だ。扶桑社版公民は「恐怖と脅しの原理の教科書」ともいえる)。本来、法とは、禁止事項や行政のご都合主義の法度などではなくて、ひとりひとりの人権を擁護し、正しい秩序に基いた社会を創造するために存在するのだ。すなわち「法から自由が生まれる」という考えである。ところが、生田さんが批判するように、捜査は、自白に基く調書主義で、刑事裁判については「欧米の裁判所は有罪か無罪かを判断するところだが、日本の裁判所は、捜査機関が有罪であると言っている犯人について、有罪であることを確認するところ」となってしまっているのである。(だから、裁判も怖いもの!という人がいるのだろう)

この原理は、「恐怖と脅しの原理」である。もともと、明治維新を準備した権力者達は、西欧への恐怖心と民衆への恐怖心と敵意から、明治という時代の秩序を構築したところがある。日本という社会は、いまだ、この「恐怖と脅しの原理」から自由ではない。生田さんのこの著書は、この負の原理からの脱却を勇気づけてくれる一冊なのだ。


とちぎ教科書裁判通信 2号からの転載

「つくる会」の思想を撃つ!-扶桑社、歴史・公民教科書思想批判その①-

黒羽から歴史と教育を考える会代表  白崎一裕
司馬遼太郎史観と「つくる会」の関係を問う


「つくる会」(新しい歴史教科書をつくる会)の中心人物である藤岡信勝氏が、その歴史教科書批判の際に、自分の提唱する「自由主義史観」の手本としたのが、作家、司馬遼太郎の「歴史観」だった。その司馬遼太郎は、絶大なる人気を誇る「国民作家」と称される。しかし、その「歴史観」が果たして賞賛されるようなものなのかは、慎重に考えてみなければならない。

国家・国民・人民

司馬は、憲法学の樋口陽一氏との対談(文藝春秋)で次のように述べている。
「明治憲法発布のときには、人民も新聞も大喜びで騒いでいる。――(中略)―― でも、人民の熱気というのは、国民になれるという喜びだったんだと思うんです。国民というのは、この場合には国家と同体だと思い込んでいる市民のことですね。(略)等し並に国民になれるという喜びですね。」
また、「ついでながら、近代ヨーロッパでは、“国民(ネーション)”と“人民(ピープル)”は区別された概念のようですが、日本ではふつう“国民”のなかにその両概念を含めます。」
(『「明治」という国家』日本放送出版協会)とも述べている。

ここでは、およそ、三つのことがすぐに疑問点として浮かび上がる。
① 明治憲法(大日本帝国憲法)制定時に、本当に国民は熱狂したか?
②「国民」と「国家」は同体か?
③「人民」と「国民」を同じ概念としてくくってよいか?

というようなことである。ここで、①の問題は、次回以降の歴史批判の項目で詳述しようと思う。今回は、②と③の問題をとりあげる。この問題は、実は、「教育基本法」や「憲法」の問題にも深くかかわることなのだ。
 「国家」「国民」「人民」この三つの概念は、混同して使われているようだ。そして、司馬は、そのことに居直り、それを「日本の言語的使用の常識」にしてしまっている。しかし、このことは、憲法を考える上で極めて重大な誤りがあるといわなければならない。

「国民国家」ではなく「人民国家」とすることの意味

西欧の歴史をみると、イギリス市民革命により議会主導の近代立憲主義国家が生まれた。これが「Nation-State」とよばれている。これは「国民国家」と訳すのではなく「民族国家」と訳すべきである。Nation(ネイション)すなわち、「人民」は、自らの法や国家をつくり、そして、「社会契約」を結ぶことによって市民としての権利・義務・責任をもち「国民」となる存在である。(これらのことについては、『民族とは何か』関曠野著・講談社現代新書から学んだ)つまり、司馬の言うような「国家」と「人民(司馬流には国民)」がべったり、同体になるということではない。それは、国家主義の思想である。(扶桑社版の「公民」教科書は、その「国家主義」思想そのものだ)
本来「人民」は「国家」の在り方を常にチェックする存在なのだ。このことは、ルソーが極めて明快に定義しているので、以下に引用しておきたい。

 ルソー『社会契約論』第一篇・第6章「社会契約について」
「―― 構成員についてみると、集合的には「人民(Peuple)」という名称をとり、主権に参加するものとしては個別的に「市民(Citoyens)」、国法に従うものとしては「国民」(ここは翻訳では「臣民」と訳されているが、このルソーの引用文をご指摘された関曠野氏により「国民」と訳す)(Sujets)と呼ばれる。しかし、これらの名称はしばしば混同され、互いに取り違えられている。それがきわめて正確に使い分けられるとき、区別することができればよい。」

PEOPLEを「国民」と翻訳した政府側の意図について

 この「人民」と「国民」の混同が、「教育基本法」や「憲法」の問題にもつながってくる。
たとえば、「教育基本法」の文言の主語だが、第3条は「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであってーー」とある。ちなみに、この部分の英訳は「The people shall all be given equal opportunities of receiving education according to their ability,------」となっている。すなわち、「people」を「国民」と訳しているわけだ。しかし、これだと、奇妙なことがおこってくる。日本に居住する「外国人」の人々、たとえば、在日朝鮮・中国の人々や移民のブラジルの人々の子ども達には、教育の権利はないのだろうか?(この点は、朝日新聞「私の視点」11月2日朝刊で東海大学の小貫大輔さんが詳細に論じている)ということである。
このことは、現行憲法にもあてはまる。「主権は国民に存する」と前文で明記し、第10条で「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」として、11条で「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられないーー」とある。これだと、誰にでもあるはずの「基本的人権」が「法律で決められた「国民」」にしかないことにならないだろうか?ちなみに、国際人権規約などの「国際人権法」は当然、主語は「人民」だ。実は、現行憲法制定過程の研究で、この問題は、GHQ側の憲法案を日本政府が和訳したときに、person やpeople の翻訳を意図的に変更し、「国民」という訳語にこだわったためということが分かっている。(『憲法制定史』竹前栄治・岡部史信著、小学館文庫。などを参照)
そして、その理由は、当時の在日朝鮮・台湾の人々への差別的意識からだということも同時に明確化されている。この基本的人権に関する文言の主語は(人民という言葉がなじみがないとすれば)、当然、「すべての人々は」とか「何人も」とかになるだろう。
 本当は、上記のようなことを「教育現場」に即して「教育基本法」の問題として国会で議論すべきなのだ。

このように、司馬がごまかした「国民」と「人民」の問題は根深い問題であり、そのことを、私達は深く考える必要がある。

韓国憲法は、どうして「国民主権」と書かれているのか?

お隣の韓国の憲法も、実は、「国民主権」であって「人民主権」ではない。そのことについて、韓国の歴史学者、韓洪九(ハン・ホング)氏の「韓国現代史」(平凡社)の文章を最後に引用してこの稿を次回に続けたい。特に次回は、「愛国心」などというものが「教育法規」に法定化することが妥当なのか?ということや「愛国心」と「愛郷心」の違いなどについて考えたい。特に「国家主義」的な思考のもとでの「愛国心」は、まさに「国家」と「国民」が一体化する危険な思想を生むことを論じていく。

「--わが国に存在するのは、国家優位のにおいがする国民だけであって、国家といえどもむやみに侵すことのできない自由と権利の主体を意味する「人民」は存在しません。もともと大韓民国憲法が制定されるときの草案には、「人民」となっていたのに、李承晩の忠僕ユンユチヨンが憲法審議の過程で、共産党が好んで使う「人民」という言葉を使おうとする輩の思想は疑わしいと言って、「国民」に変えられたのです。--」
(「韓国現代史」p27)

 やはり、李承晩政権の反共の影響で、「国民主権」になっていたのだ。しかし、こういうことも日本ではほとんど知られていない、か、または無視されているのではないだろうか。

(この稿続く。この原稿は教育基本法改正前に記したものである。)

東京裁判とは何だろう?


東京裁判とは何か?
―――――東京裁判の再審をめざして
(口頭弁論の補足)
とちぎ教科書裁判・大田原市原告 白崎一裕


「とちぎ教科書裁判」口頭弁論第二回の準備書面・当事者適格などの説明で「東京裁判」の歴史的意味などについて陳述したが、時間の関係で不十分なところもあったため、その補足をここでおこないたい。そして、この補足をもって、口頭弁論第二回のご報告としたい。

● 安部前首相発言にみる東京裁判批判

報道によると、この通信が発行される頃には、すでに前となっている安倍首相は、2006年10月6日午後の衆院予算委員会で、日本の国家指導者の責任を追及した極東国際軍事裁判(東京裁判)について「平和に対する罪と人道に対する罪で裁かれたが、(いずれも)その段階でつくられた概念だ。罪刑法定主義上、犯罪人だということ自体おかしい」と述べ、正当性に強い疑問を呈した。

 民主党の岡田克也元代表、共産党の志位和夫委員長、社民党の阿部知子政審会長らへの答弁で答えたもので、サンフランシスコ平和条約で東京裁判を受け入れたことも「受け入れなければ独立できなかった。独立するためにあえてのんだ」と表明。小泉前首相が国会でA級戦犯を「戦争犯罪人」と答弁したことには「(A級戦犯の遺族は)遺族援護法などの給付の対象になっているし、いわゆるA級戦犯の重光葵元外相は勲一等を受けている。国内法的に戦争犯罪人ではない」と持論を展開した。

上記の安倍首相の発言は、右派の紋切り型の応答との一つといえる。右派の人々の東京裁判批判の要点は以下のようなものだ。
①、 平和と人道に対する罪は、遡及処罰(事後法)にあたるもので無効だ。
②、 パール判事のように、東京裁判は「勝者の裁き」であり、裁判自体が無効で被告人は全員無罪という意見がある。

これに、サンフランシスコ平和条約の問題が加わる。安倍首相の発言は、驚くほど、責任問題として発展しなかったが、現日本政府の代表である首相が、サンフランシスコ平和条約は、「仕方なくのんだ」旨の発言は、日本の戦後の国際社会での地位を否定する内容を含んでおり、極論すれば、国連憲章違反および国連脱退にも匹敵するものだと思われる。しかし、このことを強く批判するはずのアメリカからも公式な反応はなかった。その原因はどこにあるのか。本論は、上記の東京裁判に関する疑義に反論する前提として、このサンフランシスコ条約の問題からはじめることとしよう。

● サンフランシスコ平和条約第11条の意図的な「誤訳」

以下の問題は、『東京裁判』粟谷健太郎著 大月書店の第2部第3章、「日本政府が忘れたこと」という論文に詳述されている。
 サンフランシスコ平和条約の第11条は、【戦争犯罪】となっており、政府訳は次の通りである
「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。―――」とある。
そして、この原文の英語正文は以下の通りである。
「Japan accepts the judgment of the International Military Tribunal for the Far East
and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan--------」

このふたつの文書のアンダーライン部分を比較して欲しい。この部分の「judgment」は
「判決」と訳し、全体は、「判決を受諾し」と訳するべきである。それが、政府訳では
「裁判を受諾し」となっている。国際社会的には、英文を正文として判断して、日本政府は「判決を受諾した」と受け取るのが常識だろう。これを「裁判を受諾」と訳したことにより、「裁判全体は、受け入れるが判決はどうかわからないーー」という曖昧さを残すものとなっている。その証拠に、当時の外務省は、「judgment」を、はじめ「判決」と訳していたが、のちに、「裁判」と改訳している。粟屋氏は、この改訳のいきさつは不明だが、外務省の作為で、「判決」を「裁判」と訳して曖昧なものにしたのだろう、と推理している。
 私も、この粟屋氏の推測が正しいと思う。なぜなら、憲法の訳文をはじめ、各種国際条約などの「政府訳」は、様々に意図的に「誤訳」されているものが多数見受けられるからだ。(この例として、粟屋氏は、ポツダム宣言受諾の文言「be subject to」の翻訳の例を
あげている。この訳としては、本来「従属する」と訳すべきところを「~への制限の下に置かれるものとす」と曖昧な形で訳している)

● 東京裁判「判決受諾」の意味

 「判決を受諾」とは、何を意味しているのか?それは、安倍首相の発言のように、仕方がないから、うけたーーなどという軽々しくも曖昧なものではない。粟屋氏が指摘するように受諾(accept)には、賛成・同意という意味合いがこめられているのだ。そして、なおかつ重要なのは、この「判決を受諾」するところから、日本のすべての戦後の国際社会における「法的」地位がスタートしたということだ。これを無視ないし批判することは、日本の戦後史総体を否定することに等しい。
 さて、「受諾した判決」内容を箇条書きにして確認しておこう。
①、 総体としての極東国際軍事裁判の判決
②、 A級戦犯の戦争責任およびその量刑
③、 平和に対する罪
④、 殺人及び共同謀議の罪
⑤、 通例の戦争犯罪
⑥、 人道に対する罪
⑦、 1928年1月から敗戦までの、日本の対外戦争のすべての過程を侵略戦争として審判されたことなどである。

● 平和と人道に対する罪は国際法発展に寄与

上記のなかで、東京裁判の歴史的意味という点で重要なのは、「平和と人道に対する罪」
の二項目である。ニュルンベルクと東京の両裁判は、この審議において、国際人権法・
国際人道法の発展に対する寄与および人権侵害としての戦争は違法行為であることの確認がなされたと考える。このことは、第二次大戦後の国連の諸活動に反映されていることは
言うまでもない。
扶桑社版・歴史教科書でも、この東京裁判を「東京裁判について考える」というコラムで取り扱っている。もちろん、東京裁判を教材として取り扱うことは望ましい。だが、問題は、その評価だ。このコラムでも、「前例のない裁判」「パール判事の紹介」「GHQの裁判報道の統制により、日本人が罪悪感をもつ」「東京裁判の評価は定まっていない」など否定的な評価への誘導的論述がめだつ。これでは、戦後の法的なスタートとしての東京裁判の位置づけが理解できない。特に、上記のサンフランシスコ平和条約との関連を詳述しないと、占領から独立回復への意味合いが理解できないだろう。また、パール判事の意見を紹介するのなら、「平和と人道に対する罪」の国際法の発展に寄与した意味を記述しなければ公平性を欠くものとなる。こういう点から見ると、やはり、扶桑社版も、右派が主張する「東京裁判史観否定」の思想を反映したものといえるだろう。ただ、それならば、左派が、この「東京裁判」を積極的に評価してきたのかというとそれも疑問である。一部の研究者を除いて戦後の政治史的には「無視」という状況ではないだろうか。

中国や韓国政府が日本の教科書問題に対して様々な疑義や批判をするのは、これらの「東京裁判判決」とその「受諾」は、日本独立に際しての世界に向けての約束事項であったことからして当然のことなのである。もし、日本側がそれに反対するのであれば、まず、平和条約11条の破棄を国際社会へむけて宣言しなければならない。しかし、現在の日本と国際社会の関係からみて、そのような行為は非現実的であるし、戦後史そのものの全否定につながってしまう。ここに、右派・保守派政治家の悔し紛れのような、東京裁判史観否定発言、アジア・太平洋戦争自存・自衛正当化発言が、なんども繰り返される根拠がある。

● 事後法であるという東京裁判批判への反批判

さて、論を元に戻そう。
最初に述べた、右派・保守派の東京裁判否定論の根拠に対する批判的検討に移る。

まず、遡及処罰の禁止(事後法の禁止)とは、どういうことか確認しておこう。
「行為時に法律上犯罪とされていなかった行為を、後に制定された法律によって処罰することを禁ずる原則」と『広辞苑』にはある。また、事後法は、罪刑法定主義(いかなる行為が犯罪であるか、その犯罪にいかなる刑罰を加えるかは、あらかじめ法律によって定められていなければならない)に反するものという見解もある。これらの見解は、パール判事をはじめ、東条英機被告の主任弁護人であった清瀬一郎によっても、東京裁判冒頭から提起されている問題である(管轄権動議)。
 これに関しての反論も様々にあるが、私は、これを「法の発展」と「自然法的正義」の観点から論じておきたい。これについては、A級戦犯・広田弘毅のみに「有罪とは認められない」という見解をしめしたオランダのレーリンク判事が興味深いことを述べている。
彼は、法学者のA・カッセーゼのインタビューに答え、事後法の禁止は、政府の権力に対して市民を守るためのものであり、立法者の過ちにより後におきる不正な出来事を禁止することを怠ったとすれば、その事情は違うーーと述べている。また、その具体例として、オランダで、戦時中にドイツ人にユダヤ人の隠れ家を密告した人を裁く場合に既存のオランダ刑法では罰することができず、後に公布した法律で処罰したが、この場合には、事後法の禁止は無視されたと述べている。この部分のレーリンクの発言は興味深いので、引用しよう。「死刑にも相当するそのような悪党を処罰することが不正でしょうか。彼らは自分たちの行為の悪質さを十分承知していたのです。彼らは刑事訴訟法や厳しい処罰が<正義>の原則に違反しているとは主張できないのです。」
 この発言のアンダーライン上の言葉に注目して欲しい。みずからの行為の犯罪性に気がついているという自然法的な感性は、事後法の禁止なる法理論上のテクニックを超えるということなのだ。これは、何も変則的なことを述べているわけではない。その証拠に、国連は、1966年の第23回総会で「戦争犯罪および人道に反する罪に対する時効不適用に関する条約」を採択している。これなどは、まさに事後法である。また、ニュルンベルク・東京両裁判では、「戦争犯罪人および人道に対する罪を犯したものに対しては罪刑法定主義や遡及処罰禁止原則を厳格に適用しないでよい」との例外規定が原則化が判示されているとの国際法学者(幼方直吉)の意見もあると、先の粟田氏は述べている。
 また、国際法の発展という観点からの罪刑法定主義への批判もある。それは、東京裁判が、事後法適用の法律上の不備はあるにしても、国際法上の革命ないし革命裁判的なものであり、罪刑法定主義を退けるものとする見解だ。これに類する見解は、横田喜三郎の「侵略戦争防止のための「国際法上の革命」」論や戒能通孝の「裁判終了時点で、裁判を合理化する国内的ならびに国際条件が十分に成熟することができたか、そして、裁判をすることにより滑稽な事態が生じなかったか否か」という論などがある(『東京裁判論』より)。
 私見では、「平和と人道に対する罪」が一般の刑法上の事後法などの解釈を超える見解が出される根拠は次のようなことにあると考える。第一に「平和と人道に対する罪」が、法制化される以前に「敵を尊重せよ」という文書などが、「マハーバラータ」「聖書」「コーラン」のような宗教的な古代文書にひろくみられること(国際赤十字HPの「国際人道法――あなたの質問にお答えします」を参照)。第二に、さまざまな宗教に、ユダヤ・キリスト教でいわれるような黄金律、すなわち「自分ににしてもらいたくないことは、他人にしてはならない」というような文言があり、これらの文言を基礎にして「平和と人道に対する罪」は、人類に普遍的な感性(自然法的正義)を法として発展させてきた帰結として表現されているものとなっているからだと考える。
 
● パール(パル)判事問題への批判

次にパール判事の問題である。これに関しては、先に紹介したレーリンクが興味深い発言をしている。レーリンクとパールは東京裁判の判事団の同僚であり、その同僚の目からみた人物評である。その部分の発言を引用しよう。「――対照的にインドのパルは植民地支配に心底憤慨していました。彼は、ヨーロッパがアジアで行ったこと、200年前にアジアを征服し、それからずっとそこを支配し君臨し続けたことに強いこだわりをもっていました。それが彼の態度でした。したがって、アジアをヨーロッパから解放するための日本の戦争、そして「アジア人のためのアジア」というスローガンは、パルの琴線に触れるものがあったのです。彼は、日本人とともにイギリスと戦うインド軍に属していたことさえあったのです。彼は骨の髄までアジア人でした。」(注1)
 この発言については、粟谷氏が次のような解説をつけている。
パルの思想は、日本軍と結んでインド国民軍を率いインド独立を達成しようとした(扶桑社版教科書にも登場する)チャンドラ・ボースに近く、東京裁判に対する反論は法実証主義に基きながら、その背景には、「西洋帝国主義にたいする強烈な敵意にもとづい」た、日本への共鳴だったのだ。そういう意味で、パルは「中立的」立場の判事ではなかったといえる、というものである。この両氏の指摘は、パルの本質をよく言い当てていると思う。
(また、パルは、法廷欠席が一番多く、宿舎で、被告全員無罪の判決を書いていたということである。これは、審理よりも最初から結論ありきがパルの立場であったことを示す、別のエピソードともいえる。)

● 東京裁判「再審」への準備作業

ここまで、右派の二つの東京裁判批判の論点を批判してきた。
しかし、東京裁判が批判する点のない完璧な裁判であったのだろうか。これは、まったく違うことである。東京裁判とは、ある意味、欠陥だらけの裁判といえる。では、私達は
どのように未来への希望として「東京裁判」をあつかうべきなのだろうか。それは東京裁判を私達日本人の手で「再審」することなのだが、それは、当然、戦争責任の追求ということを含んでいる。
 そのための準備作業をはじめるために、まずは、東京裁判の欠陥について列記してみよう。
①、 アメリカの原爆投下・東京大空襲をはじめとする行為の「人道に対する罪」に照らしての審理。
②、 ソビエトのシベリアでの捕虜の扱いに関する「人道に対する罪」および国際人道法に照らしての審理。
③、 天皇の免責。
④、 B・C級戦犯の審理の再審。
⑤、 旧731部隊および旧1644部隊などの捕虜人体実験や生物・化学兵器使用に関する「人道に対する罪」および国際人道法に照らしての審理。
⑥、 旧朝鮮・台湾など、日本の「植民地住民への加害行為」の「人道に対する罪」に照らしての審理。これに関しては、法廷審理に韓国・朝鮮・台湾の人々が参加する必要がある。
①と②は、国際人権法および国際人道法の発展のためには、必要なことでありながら、東京裁判では、連合国側の責任追及が不十分だった点である。
また、③は、マッカーサーの占領政策により、不問とされ、天皇自身の発言も封じられてしまった。④については、粗雑な審理が多く、裁判の公正に疑義があるものがある。また、BC級先般の中には、植民地から強制動員された、朝鮮・台湾の人々が含まれている。そういう人々の差別的待遇などへの問題が考慮されていないなどのことが含まれている。また、
⑤については、アメリカ側の軍事議技術情報入手の意図のため、追及がうやむやになって免責されてしまった問題が含まれている。

以上、これらの諸問題を含めた、東京裁判の再審こそが、戦後社会の総括となり、私達自身の戦争責任の追求がここのはじまるのである。劇作家の木下順二は、東京裁判を取り上げた戯曲『神と人とのあいだ~~第一部審判~~』の創作意図について「奇妙にひずんだ
戦後日本というものの原点の一つを、そこにみつけることができるのではないかと考えたからであった」と言っている(『東京裁判論』p270~271より)。まさに、東京裁判について議論することが、戦後日本の原点の一つを問い直すことになるのだ。

● 日本人の「東京裁判」への意識は?――法から歴史は生まれる

 いままで述べてきた、東京裁判の「再審」を行う側の日本人はどのような意識を持っているのだろうか?
ここにひとつの参考になる調査がある。
2006年5月2日の朝日新聞(朝刊)に発表された、朝日新聞の世論調査(全国の有権者3千人を対象にした面接方式調査)の結果である。
それによると、東京裁判の内容について「知らない」層が全体の70%にのぼり、20代では90%を占めることがわかった。また、東京裁判の「あったことも知らない」層が、30代と40代で20%、20代では37%にのぼったとある。このほかにも、靖国神社A級戦犯合祀問題などの質問が続いているが、基本となる、東京裁判の内容および存在の有無の質問でこのレベルになっているということは、基本的歴史認識そのものの欠落を示すものではないだろうか。ちなみに、帝国書院版の歴史教科書では、「1946年には、戦争犯罪人を裁く極東国際軍事裁判所もはじまりました。」という記述のみがされている。この記述のみでは、その歴史的意味を理解することは困難だろう。ただ、「戦争の原因について日本人自らが追及し、解明する努力がまだ不十分だと考える人」は69%にのぼり、この点での意識と歴史的事実とのつながりが必要とされるところである。
 この調査からは、戦争責任の追及は不十分だと考えるが、その基本となる歴史意識の欠落があるーーということがわかる。そもそも、私のように高度成長以降に、この日本で育った人間は、歴史を必要と感じない「消費社会」の中で暮らしている。そして、これに入学試験用にアレンジされている学校における歴史教育が拍車をかけている。
また、先に述べた東京裁判に欠けていた戦争責任の問題は、それぞれの分野で個別におこなわれているのが現状だ。これを統一した形で扱い、国際人権法・国際人道法の発展に照らして、東京裁判の再審をするべきだろう。そして、その議論を通じてこそ、若い世代の歴史意識も再生するのだと思う。
 法から歴史が生まれる! その具体的実践が、東京裁判の日本国民による再審となるであろう。

(注⒈)『レーリンク判事の東京裁判――歴史的証言と展望』B.V.A レーリンク&A. カッセーゼ著 小菅信子訳 粟屋憲太郎解説 新曜社―――― p50~51

● 参考文献 上記の他に
『東京裁判論』粟屋憲太郎著 大月書店
『歴史の学び方について』関曠野著 窓社
『教育、死と抗う生命』関曠野著 太郎次郎社
『レインボーフォーラム』永易至文 編 「そうだったのか、「人権」って」関曠野インタビュー 緑風出版
『国際条約集2005』大沼保昭編 有斐閣
『戦争の記憶――日本人とドイツ人』イアン・ブルマ著 石井信平訳 TBSブリタニカ
『近代日本の転機――昭和・平成編』鳥海靖 編 吉川弘文館
『中学社会 新しい歴史教科書』扶桑社
『中学生の歴史』帝国書院

私は、なぜ、教科書裁判の原告となったか?

「なぜ、裁判の原告になったか?」

(黒羽から歴史と教育を考える会代表) 

白崎一裕


なぜ、裁判の原告となったか?その思いは、大きく以下の三点に要約できる。

一、 扶桑社版教科書の歴史認識の挑戦をうけて、あらたな「歴史観」を構築するために。

扶桑社版の歴史観は、日本の近・現代史を100%肯定する、皇国史観の焼き直しであり(古代史も、そのための補強の材料に使用されているにすぎない)中華思想を日本中心に置き換えた「冊封思想」の改造版でもある。しかし、これでは、東アジアの新しい秩序は構築できない。東アジアの未来は、国際法共同体への参入とその視座からの日中韓の関係史の再構築でなければならないだろう。その問題提起を地域から発信する裁判にしていきたい。

二、「運動的訴訟」への共感。

愛媛の方々の運動・方法論や思想は、市民が「法」を自らのものに取り戻すものである、という私なりの感想があるが、そのことへの連帯・共感がまず最初にある。これまで、裁判というのは、憲法で保障されている権利でありながら、官僚主権と専門家主導のなかで、一般市民からは敷居の高いものと考えられてきた。しかし、生田弁護士のサポートを受けて、法を官僚主権・専門家権力から市民のもとへ取り戻す動きとして愛媛の「運動的訴訟」に連なってみたいという思いがある。これは、今後、どうなるか分からない。ただ、裁判を超える裁判へ!という道になることだけは確かだろう。

三、 「教育行政」そのものを問い直す。

教育に関する国際人権法(子どもの権利条約)や先進的な教育改革の流れは、教育の自治や教師の自治、子どもの学習権の保障が当たり前のものとなっている。しかし、日本の教育行政は、学校教育法や地教行法で地域・地方自治とは無縁なものとなり、教育委員会は閉鎖的なものとなっている。また、憲法違反ともいえる「教科書検定問題」は依然、手付かずのままである。こういう教育行政のありかたを「主権在民」のものとしていきたい。そのことを実現するために、教育行政関連についての「法の発展」に寄与できるような裁判にしていきたい。また、黒羽町・湯津上村は、別の教科書採択を決定していたが、「市町村合併」により、その決定は無視された。これを「合併」による「教育の自治」の破壊ととらえ、その「合併」の不当性の視点からの問題提起をしていきたい。

以下が、「自治」に関する資料である。
田中正造・明治45年一月の日記
「国造りをなせし古来の居住、今の町村は天来の己得権なり。----
  近年人造、今のよの人が造れる法律の己得権と同じからず。神の造りし天来にして、無上最大の己得権なり。即ち今の国なり。之を破るは国を破るなり。」
足尾鉱毒事件の闘いの中で、造られた、村落は自然権であるという思想。村落は自治権を有し、これを破壊することは許されない、という「村落観」である。

五日市憲法草案
77「府県令ハ特別ノ国法ヲ以テ其綱領ヲ制定セラル可シ府県の自治ハ各地ノ風俗習例ニ 因ルモノナルカ故ニ必ラス之ニ干渉妨害ス可ラス其権域ハ国会ト雖モ之ヲ侵ス可ラサルモノトス。
地方自治の条文である。中央集権に懸命であった明治政府にはまったく考えられない条文である。地方の 自治は国会の権限をも凌駕するというもの。 



付記
「合併」がなぜ、不当なのか?ということについては、上記の資料と共に補則が必要だろう。
ルソーは、その著書「社会契約論」で、「民主制は小国に適しーー」と述べている。この意味は、民主制を考えるとき、その制度のサイズを問題にする必要があるということだと思われる。日本の近代化は、自然村から、明治・昭和と合併を続けて、行政区の拡大を図ってきた。しかし、それは、行政の官僚化を招き、民主制の基本のひとつである「自治」の精神からは遠ざかっていった歴史ともいえる。また、戦後デンマークの精神ともいえる。ハル・コックは、『生活形式の民主主義』のなかで、「――500人以上の人々が参加する政治的な会議を禁じることが健全な民主主義へのステップだったであろう。」と述べている。

上記のハルの言葉もルソーの言わんとすることの具体的な例としてあげておきたい。
 要するに、民主的な風土では、小さいサイズ、顔のみえる関係が重要だということである。民主的な討論が機能し、公論を形成するためにはそのことを念頭においておかなければならない。
 以上の様な諸点から、合併による行政区の拡大の不当性を訴えると共にそのプロセスで生じてきた「教科書採択」問題に言及していきたいと考える

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プロフィール

白崎一裕

Author:白崎一裕
1960年生まれ。とちぎ教科書裁判(現在のところ結審しているので元)<本人訴訟>原告。今後の裁判を準備中、反貧困ネットワーク栃木共同代表、ベーシックインカム・実現を探る会代表。

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