とちぎ教科書裁判通信

大田原市の扶桑社版歴史・公民教科書採択取り消し裁判の私的記録集

2017-09

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控訴理由書 4(白崎担当部分)

● 10月2日、あっけなく、東京高裁、第一回口頭弁論で結審されてしまった。しかし、判決の内容によっては、上告する予定である。また、憲法訴願を認めない判例(このことについては、後日ブログに掲載する)では、以下の控訴理由書の内容では、通りが悪いのは予想できるが、論理としては筋を通しているつもりなので、ここに部分を掲載する。

判決言い渡しは、東京高裁 第717号法廷 2008年11月27日 午後2時50分である。

ーーーーー以下、控訴理由書 4----------------

  原判決の第3「当裁判所の判断」の1についての理由不備・理由齟齬について以下に述べる
                            記

第一 原判決では、原告らの主張する権利ないし法的利益についての解釈の重大な誤りがあるので原判決は取り消されるべきである。

1、 原判決は、「――本件採択により、原告らの平和と友好を願う心が侵害される旨の主張をしているものと解される」と断定しているが、原告はそのような「心が侵害される」ようなことは主張していない。本件採択は、「公法違反」である。そのように公法違反と原告が主張しているのは、以下のことが前提となっている。関係法令を列挙する。

◎ 不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約、パリ1928年)
◎ ポツダム宣言
◎ 極東国際軍事裁判所憲章
◎ サンフランシスコ平和条約
◎ 憲法 前文および9、11、13、19、26、98条
◎ 教育基本法 前文 1条
◎ 義務教育諸学校 教科用図書検定基準(近隣諸国条項)
(平成11年1月25日文部省告示第15号)
2 選択・扱い及び組織・分量
(3) 未確定な時事的事象について断定的に記述しているところはないこと。
(4) 近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。
がある。

サンフランシスコ平和条約第11条(戦争犯罪)において、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し(accepts the judgments )」とある(正確な訳は、判決を受諾である)。つまり、戦後の日本国の「法的立場」はすべてここから出発するということである。
さて、「受諾した判決」内容を箇条書きにして確認しておこう。
①、 総体としての極東国際軍事裁判の判決
②、 A級戦犯の戦争責任およびその量刑
③、 平和に対する罪
④、 殺人及び共同謀議の罪
⑤、 通例の戦争犯罪
⑥、 人道に対する罪
⑦、 1928年1月から敗戦までの、日本の対外戦争のすべての過程を侵略戦争として審判されたことなどである。

すなわち、アジア・太平洋戦争は、違法な戦争なのだ。しかしながら、扶桑社版歴史教科書では、本文記述において、アジア諸国侵略を正当化する呼称である「大東亜戦争」という名称を用い、なおかつ、本文記述では、侵略した記述を一部採用しながら、アジア・太平洋戦争の結末部分および資料写真およびコラムおよび生徒に考えさせる質問「やってみよう」では、すべて、侵略戦争が欧米からの植民地からの解放戦争であるかのような誘導的な記述になっている。この記述は、東京裁判で「違法」とされそれを受諾したことからする「違法記述」である。
極東国際軍事裁判所では、何が裁かれたのか?それは、「平和と人道に対する罪」である。もちろん、戦争が違法行為であることは、すでに、パリ不戦条約以来、国際法の発展の中で認知されてきたところである。そして、また、個人の罪が組織のみならず裁かれたというこの二点において、さまざまな問題点をはらんでいたとはいえ、極東国際軍事裁判所は、自然法を源泉とする国際法の発展に寄与したものといえるだろう。極東国際軍事裁判については、扶桑社版教科書においては、「読み物コラム、東京裁判について」という記述がある。この記述は、極めて一面的であり、「勝者の裁き」ということや、東京裁判の評価が定まっていないことが強調されて記述されている。しかし、この記述は、教科書としては問題がある。すなわち、重ねて言うが、日本の戦後の法的立場は、東京裁判の学説的評価にかかわらず、この裁判結果を受け入れたことから出発していることだ。もし、この裁判判決に問題があれば、それを日本国民自ら再審すべきである。それを、教科書の記述で曖昧に評価することは許されない。この戦後の「法的立場」は、当然、日本国の最大の被害者であった、韓国・朝鮮国民(人民)にもあてはまることである。そのことは、戦後日本の外交政策にも反映されているところであるが、特に教科書採択においては、「義務教育諸学校 教科書検定基準(近隣諸国条項)」に、そのことがあらわれている。「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」という文言がそれである。
 
第二、原判決では、扶桑社版教科書採択が大田原市民や栃木県民および日本国全体および韓国・朝鮮・中国のひとびとの全体および一般的権利侵害であり、原告個別の権利侵害にはあたらない旨のことが述べられているが、これも、重大な論理的誤りである。
 すなわち、教科書採択および教科書使用は、当然、国民(人民)の教育への権利に含まれるものである。また、教育への権利は、子どもの権利条約の国連での注釈などによれば、人権の一つと考えられている。すなわち、教育への権利は、個人の「自然権」に属するものであり、その自然権を有する個人が社会契約を結び、権力を国家に委託して、その自然権の擁護・尊重をはかるものである。すなわち、公教育に関しては、国民一人一人が、その権利擁護の観点から、教育への権利および児童・生徒に対して国民として適正な教育を準備・監督する義務があるというべきである。よって、一般的権利侵害は、個別権利侵害と切り離して議論することはできない。一般的権利侵害は、個別権利侵害の結果として生ずるものである。重ねて言うが、原告ひとりひとりが、扶桑社版歴史・公民教科書を使用する直接の当時者(生徒やその保護者)ではなくても、その当時者の教育への権利を社会契約のもとに擁護・尊重する「市民としての」権利・義務は負うものである。
 よって、原判決の、一般的権利侵害は、原告個別の権利侵害ではないとの解釈は、重大な誤りがあるということになる。
また、教科書検定およびその採択の費用は、国および地方公共団体の公金支出である。そして、扶桑社版教科書検定・採択は人権侵害・公法違反なのであるから、それに対する公金支出は違法な支出であり、これは、愛媛玉串料訴訟最高裁判決(最大判1997年4月2日)における「公金の支出の世俗的影響」ということを含みながらはるかにそれを凌駕する個別の具体的法的利益の侵害となる。
また、韓国・中国の原告の法的利益侵害であるが、以下の韓国「中央日報」の記事では、「大田原市の市立中学校7校で「つくる会」教科書採択
日本の「新しい歴史教科書をつくる会」(つくる会)が扶桑社から出版した歴史・公民教科書が、地方自治体単位で初めて採択される見通しだ。 この歴史教科書は日本の侵略史を美化・歪曲しており、韓国と中国はもちろん、日本国内でも多くの批判を受けている。
栃木県大田原市教科書採択協議会は12日、扶桑社の歴史・公民教科書を来年から市内の市立中学校7校で使用することを推薦した。 大田原市教育委員会は13日午前、採択協議会の決定を基に、教科書採択を最終決定する。 しかし教科書採択協議会が教育長、教育委員長、保護者代表などで構成されており、「つくる会」教科書の採択が確実視されている。 「つくる会」教科書採択反対運動を繰り広げている市民団体側は、「つくる会が大田原市の教科書採択を宣伝道具として活用し、各地方自治体に大規模な攻勢をかけると予想される」と憂慮を表した。 日本国内47都道府県の総584地区別教育委員会は、来月末までに採択教科書を確定することになっている。 韓国中央日報 東京=金玄基(キム・ヒョンギ)特派員
2005.07.12 19:51:48

という記事が掲載され、外交場面でも、以下のようなうごきが2001年からある。

韓国の李外交通商相は2001年二月二十八日、日本の大使を呼び、「(扶桑社版・つくる会教科書が)検定を通過した場合、両国関係に悪影響を及ぼす」と、初めて正式に通告した。金大中大統領も日本からの独立運動の記念日である三月一日、「日本が正しい歴史認識を持つよう期待する」と日本政府に対応を求める演説を行った。韓国国会も、日本の教科書問題について「過去の歴史の縮小、わい曲を是正すること」を求め、日本の大衆文化開放を見直すことを決議した。問題の教科書が大幅に修正されたことについて政府高官は、「この程度の修正では受け入れることはできない」と、韓国紙は伝えている。
 中国も王外務次官が三月二日、日本の臨時代理大使に「侵略を否定し歴史を美化する教科書を阻止すべきだ」と正式に申し入れた。さらに唐外相は、「日本の検定(の仕組み)は複雑だが、最後的な検定作業では、やはり日本の政府が責任をもって行うことになっている」と、あくまで責任は日本政府にあると断言した。さらに中国の各新聞は、問題の教科書が大幅に修正されたことについて「修正したとしても真実の歴史、正確な歴史観との隔たりは大きい」と述べている。

これらの報道から、在日韓国人および韓国・朝鮮・中国の国民に具体的な法的権利侵害がないといえるであろうか。



 以下は、上記に関してのその関連の法規の文言である。

日本国憲法 第98条2項「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」

「国連社会権規約委員会、一般的意見13号:教育への権利(規約13条)」において、「教育はそれ自体で人権であるとともに、他の人権を実現する不可欠な手段でもある。」と述べられているところである。

当然、この義務を果たすためには、憲法に基く権利行使が、国民(人民)の委託によりなされなければならない。したがって、憲法にある人権条項が国家により保障されているかどうかの問題は、等しく国民(人民)全体にかかわることとされる(すなわち、国民(人民)全体が教育に対する責任主体なのである)。
 さて、その子どもの人権としての教育についての規定であるが、そのことは、
国際人権法である、子どもの権利条約やその条約に集約されるまでの世界人権宣言をはじめとする様々な国際法や宣言、勧告などや、条約批准後に国連人権委員会より勧告がだされている種々の文言に明らかにされている。以下B段において列挙したものがその一部である。また、ここでは、それらを反映していると思われる諸外国の憲法も参考に掲げた。

①、 世界人権宣言 第26条 1、すべて人は、教育への権利(the right to education)を有する。――(略)
2、教育は人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない。教育は、すべての国または人種若しくは宗教集団の相互間の理解、寛容及び友好関係を増進し、かつ、平和の維持のため、国際連合の活動を推進するものでなければならない。
3、父母は、その子ども(児童)に与える教育の種類を選択する優先的権利を有する。

②  国際人権規約・社会権規約 第13条第1項(古山明男訳)
第1項 この規約の締約国は、教育についてのすべての者の「教育への権利」を認める。
第2項  ――公の機関によって設置された学校以外の学校を児童のために選択する自由を有することを尊重することを約束する。
第4項 ――この条のいかなる規定も、個人及び団体が教育機関を設置し及び運営する自由を妨げるものと解してはならない。 

③ 子どもの権利条約
第3条 (最善の利益の確保)子どもにかかわるすべての活動において、その活動が公的もしくは私的な社会福祉機関、裁判所、行政機関または立法機関によってなされたかどうかにかかわらず、子どもの最善の利益が第一義的に考慮される。
   第29条 (教育の目的)
     子どもの権利条約 第29条1項
1 締約国は、子どもの教育が次のことを指向すべきことに同意する。
(a) 子どもの人格、才能、ならびに、精神的および身体的能力をその可能最大限度まで発達させること。
(b) 人権および基本的自由ならびに国際連合憲章にうたう原則に対する尊重を発達させること。
(c) 子どもの父母、子ども自身の文化的アイデンティティ、言語および価値、子どもの居住国および出身国の国民的価値観、ならびに自己の文明と異なる文明に対する尊重を発達させること。
(d) 理解、平和、寛容、および両性の平等に関する精神、ならびに、すべての人民、民族的、国民的、宗教的集団、および先住民の間の友好の精神に従い、自由な社会における責任ある生活のために子どもを準備させること。
(e) 自然環境に対する尊重を発達させること

2 この条又は前条のいかなる規定も、個人及び団体が教育機関を設置し及び管理する自由を妨げるものと解してはならない。―――

④ 子どもの権利委員会の総括所見:日本(第一回、1998年6月5日、子どもの権利委員会第18会期で採択)
C,主要な懸念事項
13 委員会は、とりわけ、国民的および民族的マイノリティとくにアイヌおよびコリアンに属する子ども、障害のある子ども、施設に設置されたまたは自由を奪われた子ども、および婚外子など最も傷つきやすい立場に置かれたカテゴリーの子どもとの関わりで、差別の禁止(第二条)、子どもの最善の利益(
第三条)および子どもの意見の尊重(第十二条)という一般原則が、子どもに関わる立法政策および計画に全面的に統合されていないことを、懸念する。

⑤ 学習権宣言(1985年3月29日、第四回ユネスコ国際成人教育会議)
学習権とは、読み書きの権利であり、問い続け、深く考える権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、あらゆる教育の手だてを得る権利であり、個人的・集団的力量を発達させる権利である。(略)しかし、学習権はたんなる経済発展の手段ではない。それは基本的権利の一つとしてとらえられなければならない。学習活動はあらゆる教育活動の中心に位置づけられ、人びとをなりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体にかえていくものである。それは、基本的人権の一つであり、
その正当性は普遍的である。

公教育とは、上級学校への進学「学力」を身に付けさせるものではない。公教育とは、「人と市民の権利」を理解し、市民の権利と義務をはたすことのできる人間を育成することが目的である。すなわち、憲法を理解し実行することにできる人間を育成することが公教育の目的である。

上記の公教育の問題を原判決は、「具体的」な法的利益侵害ではない、と繰り返し主張するが、その根拠は、おそらく、警察予備隊訴訟(最高裁判決1952年10月8日)の「――特定の者の具体的な法律関係につき紛争の存する場合においてのみ裁判所にその判断を求めることができる」という「付随的審査制」
にあると思われる。しかし、この付随的審査制には、法思想的に異論もあるところであり、具体的には、ドイツのような憲法訴願(憲法異議)のような制度的位置づけをとる国を多数あるところである。

以下の社会権規約委員会にあるように、教育への権利は、基本的人権の基礎的な条件整備の重要な要素ともいえ、その権利と義務は等しく国民が負い、また、(環境問題と同様)将来世代への法的責任もともなうわけであるから、到底、
原判決の「一般的」という論理は適合せず、まさに、憲法異議としての具体的な人権侵害の個別問題しての論理があてはまるところである。

「国際人権規約・社会権規約一般的意見第13号(第21会期、1999年)[1]

教育への権利(規約第13条)

1.教育はそれ自体で人権であるとともに、他の人権を実現する不可欠な手段でもある。エンパワーメントの権利としての教育は、経済的・社会的に周縁に追いやられたおとなと子どもが貧困から脱し、地域に全面的に参加する手段を獲得する第一義的な媒介である。教育は、女性をエンパワーし、子どもを搾取的かつ有害な労働や性的搾取から守り、人権と民主主義を促進し、環境を保護し、人口増加を制御するうえできわめて重要な役割を有している。教育は国が利用可能な最高の財政的投資のひとつであるという認識が高まっているが、教育の重要性は単に実用的かつ功利的なものに留まらない。豊かな蓄えを持ち、啓発された、自由にかつ幅広く広がることのできる積極的な精神は、人間存在の喜びと報償のひとつなのである。」

また、上記の国際人権条約などの国際法を一般論として軽視することは、
憲法第98条 二項「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」
の違反ともなることを指摘しておく。

以上

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プロフィール

白崎一裕

Author:白崎一裕
1960年生まれ。とちぎ教科書裁判(現在のところ結審しているので元)<本人訴訟>原告。今後の裁判を準備中、反貧困ネットワーク栃木共同代表、ベーシックインカム・実現を探る会代表。

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