とちぎ教科書裁判通信

大田原市の扶桑社版歴史・公民教科書採択取り消し裁判の私的記録集

2017-11

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近代教育史に関するメモ書き

さて、日本の近代史ですが、まず、日本の近代教育史は、明治維新論をぬきにかたれません。結論から言うと、日本の近代教育は、国民国家のための「国民(臣民)」創出のための道具でした。また、その構造は、大田堯さんがいわれる「二階建て構造」で、国家エリート養成(官学・東京帝国大学中心)と治安対策と徴兵制をともなった圧倒的な庶民を「臣民」にコントロールする教育の二段階制でした。

明治維新は、薩長のクーデターで、実は、江戸幕府のほうが開明的なことも多々ありました。そのクーデターの中心人物ともいえる、木戸たかよしは、明治12年の建白書で「人民の富強がなければだめで、人民が無識無弱では、世界富強になれない。そのためには「国体・時勢をわきまえ忠孝の道を知らせるために<小学校>を設置すべきだ」という意見を述べています。ここに明治政府の本音があります。とにかく、たいして理念のないクーデターですから、外見だけは「国民国家」の外見をつくる必要があったのです。
そのための初等教育でした。ここにあるのは、社会へ出て役立つスキルとはいっても、臣民としての忠実な主体として、そして、やがて到来する産業化の道具としてのスキルでした。江戸期の寺子屋での知識は、町衆や村落の共同体のためのスキルであり、具体的なものでした。ですから、明治10年代になっても就学率はあがらず、民衆の学校打ちこわし運動が、各地でおこったのです。
学制に関する告諭(明治5年、1872年)にある有名な「学問は身を立つるの財本」という言葉も、明治政府は、実学スキルを強調しましたが、その欺瞞は、庶民にみやぶられていたといってもいいでしょう。しかし、その後、「学問」が階層移動と徴兵逃れの有力な道具となることを知った庶民が徐々に「能力主義的」な教育にからめとられていったのも事実です。この最大のイデオローグは、福沢諭吉です。まさに「学問のすすめ」!彼の言説が、そのまま、日本の実学の二重構造をあらわしています。すなわち、本来は、近代以前の共同体知であった教育が明治以降、臣民主体と能力主義的再編主体としてたちあらわれる二重構造です。ここで、注意しなければならないのは、社会スキルの要請は、江戸期も明治期もあったが、その意味と質が違うということです。(この稿、続く)

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プロフィール

白崎一裕

Author:白崎一裕
1960年生まれ。とちぎ教科書裁判(現在のところ結審しているので元)<本人訴訟>原告。今後の裁判を準備中、反貧困ネットワーク栃木共同代表、ベーシックインカム・実現を探る会代表。

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