とちぎ教科書裁判通信

大田原市の扶桑社版歴史・公民教科書採択取り消し裁判の私的記録集

2017-07

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月刊ボランティア情報 VOL 168(1~2月号)『ルポ 母子家庭――「母」の老後、「子」のこれから』 書評

『ルポ 母子家庭――「母」の老後、「子」のこれから』
関千枝子 著 岩波書店 定価(本体1600円+税)

評者 白崎一裕

著者は、バブル景気と言われたころに(1988年)『この国は恐ろしい国――もうひとつの老後』という母子家庭の貧困を描いた本を出版している。当時は、物質的な貧困問題が見えない(隠された)時代であり、それどころか、マルキン(金)・マルビ(貧)なる貧困を差別するような流行語までが生まれるような「金余り」の状態が一般的と思われていた。評者も感性的に80年代に強い違和感をおぼえていたが、この違和感の根拠を鋭く抉っていたのがその著作だったのだ。貧困は、なぜ、見えにくいものにされてきたのか?それは、貧困と差別は二重らせん構造をもっているからだ。差別は、差別される人の社会的・経済的活動を阻害し制限して物質的貧困へと導く、そして、その物質的貧困状態を社会がまた差別するという構造だ。「生別」の母子家庭の母たちは、長い間「勝手に離婚した、耐えることを知らない女」という偏見と差別の対象だった。そして、差別は、何重にも構造化されて、その当事者をより貧困へとおいこむ。差別という行為がかかえる問題点は、当事者がかかえている困難さを、すべて、その人の個人の問題(個人の属性)にすり替えてしまい、個人の問題が社会化されることを妨げてしまうことにある。こうして、貧困は見えないものになってしまうのだ。加えて、母子家庭の貧困には女性への差別がその背景に横たわっている。これが著者もふれている「貧困の女性化」だ。男女の賃金格差はいっこうに変化せず、女性の賃金は男性の6割にもならない。そして母子家庭の「命綱」が児童扶養手当だが、その半世紀の歴史において、83年と2003年に二度の改悪がおこなわれている。これは、70年代の半ばに世界的に頂点を迎えた資本主義がその生き残りのためにトリックとしてもちだしてきた「新自由主義」政策の影響である。「新自由主義」の本質は、福祉を切り捨て、個人が「自己責任」のかけ声の中で自ら稼いで国家から自立せよ、というものだ。この改悪は、差別と貧困の二重らせん構造のもとにある母子家庭を直撃した。当然、これは子どもたちの貧困に直結し、貧困が世代を超えて連鎖的に続いていくことになる。著者は、問題解決の根本は「金」の支援であると言いきる。「就労支援」と称して職業訓練をしてもまともに働く場所がない現在の社
会では支援の意味がなく、やはり、児童扶養手当および住宅手当の充実、教育費への支援そして、生活保護申請などなど「所得保証的」な福祉政策が緊急的に必要なのだ。ここから評者は、現代の根本課題は自立を強いる雇用政策ではなく差別なき万人への所得の分配なのだ、というメッセージを受け取った。現代日本の「貧困」問題を根底から再考したい人には必読の書である。

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プロフィール

白崎一裕

Author:白崎一裕
1960年生まれ。とちぎ教科書裁判(現在のところ結審しているので元)<本人訴訟>原告。今後の裁判を準備中、反貧困ネットワーク栃木共同代表、ベーシックインカム・実現を探る会代表。

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