とちぎ教科書裁判通信

大田原市の扶桑社版歴史・公民教科書採択取り消し裁判の私的記録集

2017-07

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ルポ?明治憲法制定の日

1889年(明治22年)2月11日、午前10時半。明治天皇は宮中の賢所(かしこどころ)で、先祖である皇祖皇宗の神霊に対し告文を奏してから、洋装の軍服に着替えて憲法発布の式場に入り玉座(天皇の座るイス)についた。なんと、その憲法発布記念式典の会場は6年余りの歳月と総工費は当時のお金で400万円(現在のお金で約200億円、ダンスで有名な鹿鳴館は18万円)でつくられたとか。そして、その玉座はフランスのルイ14世を真似たもの。しかし、最初に先祖に拝みながら洋装に着替えるなど会場も含めて奇妙な和洋折衷(和魂洋才)の儀式になっている。その後、皇后もばら色の洋装で女官をしたがえてあらわれた。

 すると、玉座の左右から大官の三条実美と憲法原本をもった伊藤博文もあらわれた。宮中に勤めていたお雇外国人のオットマール・フォン・モールの記録によれば「天皇は玉座から高いはっきりしたお声で、日本国民に憲法を与える宣言を朗読された。」とある、そして、憲法の原本を総理大臣の黒田清隆に授けたのだーーー。

 と、この儀式いかにも順調なもののように見受けられるが、楽屋裏はとんでもないドタバタ騒ぎ。まず、この日の朝、文部大臣の森有礼が暗殺されていた。だから、もちろん儀式には参加できない。が、このことは混乱をさけるために暗殺のことは隠されていた。また、伊藤は、前夜のドンちゃん騒ぎの疲れであろうか、憲法の原本を官邸に置き忘れてきてしまった。あとで、使いにとりに行かせたが、冷や汗もののうっかりミスだ。そして、もうひとつは、陰の憲法起草者と言われる井上毅が、憲法の上諭文の国会開設の日時をミスった(公布日を10月12日ではなく、14日と間違えた)。これは明治政府官僚として超優等生の自負の強い井上にしては我慢ならないミスであった。 というように、つなわたりの憲法公布劇だったのだ。

しかし、「つなわたり」、とは、本当は当時の国民の側にあった。

2月11日、国民の間では「今日、お上から絹布<けんぷ>(絹)の法被<はっぴ>(上着)が下される」ともっぱらの噂になっていた。なんと「憲法」と「絹布」の区別がついていなかったのだ。こういう国民の様子を東京(帝国)大学で医学を教えていたドイツ人のベルツは日記に皮肉な調子で書いている。「東京では、11日の憲法発布をひかえてその準備のため、言語を絶する騒ぎを演じていた。いたるところで奉祝門、イルミネーションや行列などの祝賀行事がおこわなわれた。だが、こっけいなことには、誰も憲法の内容をご存じないのだ」

国民の多くは、上(政府)から、「お祭りムード」を高めるような指示がだされ、最後のほうになって、何がなんだか訳はわからないが、お祭り騒ぎをしていたーーというのが事の真相のようだ。つまり、憲法の中身もわからないのに、お祭り騒ぎだけは、「押し付けられて」それにのって騒いだだけのものということ。

 これを、当時の中江兆民はこう嘆いている。「私達に授けられた憲法が果たしてどんなものなのか?宝石(玉)か瓦か?その内容も見ないうちから、憲法という形だけでお祭り騒ぎする国民というのは愚かである」というのだ、また、後に「いまだ、少しも見たことのない憲法条文に歓喜するのは、憲法をお守り札とでも思っているからだろう。しかし、それは、つづらの重さに、財宝がつまっていると勝手に想像しているだけで、開けてびっくり、妖怪やガラクタの山に絶倒しないかと心配だ。こういう欲張り婆さんのような姿が彼らの望みではないだろう」(「憲法発布の盛典について人民の喜悦」より)という論文も書いている。
 
 また、永井荷風は、後に「新しい形式の祭りにはしばしば政治的策略が潜んでいる。--憲法発布の祝賀会が、私の記憶する社会的祭日の最初で、国民が国家に対して「万歳」を叫ぶのを聞いたのもこの日からではないか」(「花火」より)と書いているし、パロディ作家・ジャーナリストの草分けである宮武外骨は、明治憲法(大日本帝国憲法)が自由民権運動とは程遠いことをパロッて「大日本頓知憲法」を作成し第一条に「大日本頓知協会は讃岐平民の外骨之を統轄す」と書いた。これにより宮武は逮捕されてしまう。

 このように、欺瞞だらけの明治憲法だが、自由民権運動家でもこの憲法を支持したもの(高田早苗ら)がいるように、アジアで最初の憲法を持った「偉大な国家」ということに、日本人が浮かれていったことも事実だろう(オスマン帝国憲法が明治憲法制定の14年前に制定されているからトルコをアジアとするならば、これも怪しい)。そして、忘れてはならないのは、この憲法が「不磨の大典」として一度も改正されることなく、いまの私達の日本国憲法がこの明治憲法の改正版として公布されているということだろう。現行憲法が、明治憲法(大日本帝国憲法)と連続してあるということの事実を私達は深く考えなければならない。

◎ 参考文献
    『日本の歴史21--近代国家の出発』 色川大吉 著 中公文庫
    『民権と憲法ーーシリーズ日本近現代史②』 牧原憲夫 著 岩波新書
    『文明史のなかの明治憲法』 瀧井一博 著 講談社

 | HOME | 

FC2Ad

 

プロフィール

白崎一裕

Author:白崎一裕
1960年生まれ。とちぎ教科書裁判(現在のところ結審しているので元)<本人訴訟>原告。今後の裁判を準備中、反貧困ネットワーク栃木共同代表、ベーシックインカム・実現を探る会代表。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。